方針とこだわり

目指すところは”人”に依存しない”場”を作ること。

この人にみてもらいたいではなく、ここでオステオパシーを受けたいと思ってもらうこと。

”人”に依存するとその人がいなくなれば二度と受けれなくなってしまう。

そうではなく、ここに来れば安心という場を作ることを目指してます。

 

触れもせず画像データだけを見て 「治りません」と、いとも簡単に言い放ったり、まだ具合が悪いのに「異常はありません、治ってます」と安易に言葉をかけることもありません。病院で医師からそのようなことを言われてしまったら、見捨てられた気持ちになり、どうしたらよいかわからず絶望してしまうのではないでしょうか?

 

日本の医療は専門分化が進み、しかも他の専門の人に意見を言いません。

自分の信念より社会や組織の中での折り合いの方が大事だからです。

組織(病院、大学、学会など)、実績(症例数や研究や論文など)、保険制度などなど決まりが多く制限も多い組織的なしがらみのない私たちだからこそ、そもそも医療とは誰のためのものなのか?を肝に銘じ、あなたのために何ができるかを常に考えてます。

 

もちろんオステオパシーも万能ではないので出来ないこともありますが、「自分の家族ならば、親ならば、兄弟ならば、子どもならば、自分自身ならば、どうしたいか?」と常に自問自答し、これから先の人生をあなた自身が納得して、最大限幸せに生活していくことができる道を選べるようにあきらめずとことん向き合います。

 

ここ10年でOIA(オステオパシー国際連盟)はWHO(世界保健機関)に働きかけ、世界中の人々が平等に高水準のオステオパシーケアを受けられるためのガイドラインを構築してきました。日本ではまだまだ”オステオパシー”の認知度は低いですが、創始者アンドリュー・テイラー・スティルの教えの真髄を引き継ぎ、「本場アメリカに負けないオステオパシーを日本でも」という思いで日々精進してます。

 

私が伝えたいこと

あなた自身の”からだ”に興味を持ってほしいということです。

 

興味を持つことで「誰か」や「何か」に依存するのではなく、必要な知識は自分で調べ、自分で考え、自分でどうにもならないときは「誰か」や「何か」を利用して自分が治すんだ!と主体的になって欲しい。一人でも生きてゆける”知恵と工夫”を身につけられようになってほしい。

 

ここで言う「誰か」 = 医師、SNSやテレビや雑誌に出ている専門家など

ここで言う「何か」 = 手技、薬など

 

そのお手伝いをするのが私の仕事です。

 

オステオパシーを通していろんな人たちと接したり、解剖学や生理学を勉強すればするほど、人の"からだ"は構造的にも機能的にもとても優れたシステムだなぁと思います。と同時に"からだ"が一生懸命頑張ってくれてるのに自分の"からだ"のことに興味というか関心がない人が多いとも思います。

 

普段は多少問題があったとしても、”からだ”はあなたが気が付かないところで懸命にカバーしてくれてます。でも、それが長期間続くと耐えられなくなり病気や怪我になります。

 

特に大きな問題もなく普通に生活出来ていると自分の"からだ"に関心を向けるのは難しいかもしれません。しかし、大きな病気や怪我をしてから気が付いても手遅れだし、もったいないです。何かが起きる前に”からだが資本ということに気づいてほしいのです。

 

しかも、大きな問題になる前に”からだ”は何らかの異常信号を出してくれます。疲労だったり、凝りだったり、だるさだったり、しびれだったり、痛みだったり、人それぞれでいろいろ。

 

”からだ”は何の意図もなく異常信号を出すことはほぼありません。あなたに生活環境を変えてほしかったり、止めてほしい生活習慣があったり、”からだ”の「可動性」が低下してこのままだと病気や怪我をするから何とかしてほしいなど何らかの意図があるから異常信号を出します。

ここで言う「可動性」 = 関節可動域、体液循環、神経伝達など

 

昔から「病は善知識」という言葉がありますが、わざわざ病気にならなくても”からだ”からの意図をきちんと読み解ければ、正しい生活法を身につけることは可能だと思います。

 

私の仕事はこれら”からだ”からの意図を読み解くことです。

 

多角的な視点

オステオパシーは身体を構成するすべての構造物(筋肉や骨格とその関節、内臓や頭蓋の神経系、循環系など)の機能に適した技術を、解剖学、生理学、病理学などに基づいて考え、一般的な医学とは違った視点で発展してきた医学です。

 

ひとつの視点だけではどうしても視野が狭くなり、自分の専門分野に固執しがちです。

 

 ”ヒト”に関してはいまだにわかってないことだらけです。

わかってないことが多いからこそ、教科書や論文に書かれていることが間違っている可能性だってある。

時代の変化は昔とは比べ物にならないぐらい早くなり、今は正しいとされていたことが実は間違っていたという傾向はもっと強まります。

 

特に医師は”現実”より”教育”を信じる傾向がありますが、時には物事を疑うことも大切なのではないでしょうか?

教科書に書かれてないからという理由だけで否定されがちな仙腸関節や頭蓋の可動性、CRIなどのオステオパシー的な概念は今の計測技術が追い付いてないだけで現実にはあると思います。

こんな話を書いていると地動説と天動説のときもこんな感じだったのかなぁと想像してしまいます。

 

ここ100年で開発された医療技術は数えきれないほどの命を救い、人々の生活の質を何倍にも高めてきました。

しかし、今の医学にも限界があります。

歯科医兼睡眠の専門家として30年間働いてきたマイケル・ゲルブ博士、呼吸器科医を40年勤めてきたドン・ストーリー博士。さらに、ハーヴァード大学、スタンフォード大学やその他機関の医師数十名は以下のように述べてます。

 

”今の医学は緊急時に身体の一部を切除したり、縫い合わせたりする際には驚くほど効率的だけど、現代人の多くが抱える頭痛、喘息、ストレス、アレルギー、自己免疫の問題など、軽度で慢性的な全身性の疾患には残念ながら不向きである”と。

 

根本原理など科学的にはまだ解明できてなくてよくわからないけど、今の医学が不向きな症状がオステオパシーで改善される人がいるということも現実です。

 

わからないものをわかった気になるのは本当に恐ろしいことです。本来、わからないからもっと勉強しようとか、違う視点で見てみようと考えるものなのに、わかったつもりになるとそこで思考が止まってしまう。

わからないから立ち止まるのではなく、わからなくても前に進むことも大事です。一般的な医学的視点だけでなく、オステオパシー的視点なども加えた多角的な分析が必要になってきます。

 

人の身体は一つ一つの構造物がそれぞれに関連しあい、バランスを取り合いながら健康を保っています。その限界が来ると症状が出始めます。オステオパシーはそのバランスを崩している原因となる部分を見つけ出し、その部分に適した手技で施術を行います。

 

人間の身体には自然治癒力があるのでたいていのものは寝れば治ります。治らないのは治癒力を妨げいる何かがあるからです。この妨げているものを取り除き、本来もっている治癒力に戻すお手伝いをするのが私たちの役割です。決して私たちが治しているわけではありません。治しているのはあなた自身なのです。

 

また状態によりオステオパシー以外の医療が必要な場合は、必要と思われる療法をお薦めします。

オステオパシーに固執して適切な医療への機会を損失させることはありません。

 

病院や他の療法とも柔軟に連携し、あなたにとって最善な手段を提供することで、「ここに来たい」、「またみてもらいたい」と安心してもらえる場所を目指してます。

 

日本のモノづくりの精神と技術者の視点

その精神の源流は鉄砲伝来、種子島時尭にあると言っている人もいます。

 

ポルトガルの貿易商が持っていた鉄砲を「すごい!」と感動できる心

「これはいったいどうなっているんだ?」と解明したくなる好奇心

「この素晴らしい技術をまずは学ぼう」とする謙虚で素直な心

「自分も同じものを作りたい」という挑戦心

そして、完成するまで続ける決して諦めない心

 

日本の技術者にはこの精神が脈々と受け継がれている。

今の日本企業はこの精神を忘れつつありますが、、、

 

私も技術者としてこの精神を忘れず、オステオパシーにも生かしていきたいと思ってます。

それが結果として日本でも「オステオパシー」に対する信頼、歴史と伝統、実績への絶対的評価。誰もが認める不動の価値というブランドとして確立していくと思ってます。

 

基礎医学に基づいた論理性と高い専門性

なぜ、オステオパシーは知名度が低いのか?

 

そもそも知名度が低いので勉強しようという人が少ないのもあるのですが、

勉強したいと思っても専門性が高く数年単位の勉強が必要なので、続けられる人はさらに少なくってしまいます。

オステオパシーとは何か?でも書きましたが、オステオパシーは大学院レベルの勉強が必要です。

 

とにかく具体的です。

具体的だからイメージしやすく納得感もあると思います。

「あなたは脊柱管狭窄症です」というような具体的なようで、よくよく考えるとあいまいな説明はしません。

 

自分の”からだ”の声を聞けるようになってほしい

何もしてないのに体重が急激に減ったとか、異常に喉がかわいて仕方がないとか、胸からピューピューと変な音がするとか明らかな異常の前になんかちょっと調子が悪いという感覚に見ないふりをしないでほしい。

 

薬を飲んで誤魔化したり、検査結果の数字に頼るのではなく自分の”からだ”の声を聞けるようになってほしいです。